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逝けない身体~ALS的日常を生きる  川口有美子著 No,1

生死を巡る本が続きますが、ノンフィクションの本を探していたところ、この本に出合いました。

ALSとは毎日少しずつ筋肉が固まり、手足が動かなくなり呼吸も困難になります。
そこで人工呼吸器をつけるかどうか、すなわち生死を患者または家族が選択しなければいけなくなります。
川口さんは人工呼吸器をつけることを決断し、お父さん、妹さんと一緒にALSを患うお母さんの介護の道を選択しました。

川口さんは旦那様、娘さん、息子さんと四人でイギリスで暮らしていましたが、介護のために子供たちと帰国します。
急激にできることの減っていくお母さん。
寝たきりは当然のことながら眼球さえ動かせなくなるのです。
介護の大変さは心身ともに想像以上のものです。
そんな中で自分達の選択が正しかったのか悩み、そして最後には寝たきりのお母さんから元気をもらうようになります。

ALSの人生であっても丁寧にケアされ、大事に扱われる限り生き続け、ベッドの上から愛する人を守れる。
そして内面がますます幸福と希望に満たされていく人が大勢いる。
そんな人と暮らす私たちも重症患者によって祝福され、見守れらている日々を意識せずにはいられない。
と書いています。

そういうことなんだなあ・・・とつくづくです。

次回は読み進める中で私の感じたことを書いてみたいと思います。


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安楽死を遂げるまで  宮下洋一著

スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカの一部の州では安楽死が、医療行為として認められています。
日本では認められていません。

安楽死には医師が死をもたらす行為をするものと、医師が薬を処方し本人が飲んだり点滴のストッパーを解除したりする自殺ほう助の方法があります。

著者が本人、家族、医師に話を聞き、日本での過去の安楽死事件をも追ったノンフィクションです。

現在、私は心身ともに病気ではありません。
家族にも重篤な患者はいません。
ですから、この本を読む中で自分の身に置き換えて考えたとしても、本人・家族の心情それ自体は本当の意味では理解できないと思い、できるだけ客観的に読みました。

人は自分の死を自分で選択することが正しいのでしょうか?
このことをどう考えるかが安楽死を考える時、最も重要な問題となるのでしょう。

その人の生きている国の文化、宗教、家族によりどう考えるのかが変わってきます。
西欧では個人の考えを尊重する傾向にあり、日本とは少し違います。

安楽死を考えるような場面に直面した時、私はどのように考えるのでしょうか?

万引き家族

カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した、是枝監督の作品。

現在の日本社会の問題が盛り込まれている作品でした。
子供への虐待、独居老人と年金などなど。

他人同士が万引きをしながら家族のように生活をするストーリー。
万引きは犯罪であり、絶対にしてはいけないことという前提でありながら、
その他人同士の家族が周りの目を盗みながらも、温かい関係の中暮らしています。

勿論そんな生活が続くわけもなく、最後は警察に見つかり破綻してしまいます。
警察官のいうことは当然のことながら、普通の社会において正しく、決して間違ってはいません。
でもなんだか心無く、冷ややかな寂しい響きとして伝わってきました。

また、弱い立場にある子供は大人によってどうにでもされてしまう、という怖さをつくづく感じました。

日常の暮らしにありそうなことを映画にする、是枝監督ならではの作品でした。

極夜行  角幡唯介著  No.2

角幡さんは1匹の犬と旅をします。
彼にとって犬は運搬を担い、白熊や狼など獣からの攻撃を知らせてくれるボディーガードであるばかりでなく、旅の友であり癒しでありました。

デポといって旅の前に食料や燃料を備蓄しておく場所があります。
彼はそれを頼りに旅をしますが、熊に荒らされ、人に荒らされ食料が尽きていきます。
狩猟もうまくいかずこのままでは自分の命が危うい、と思うとき最後は友である犬をも食料とみなすようになります。

普通に考えて、一緒に苦楽を共にした犬を食料とみなすなんて考えられません。
でも極限まで来たとき、人はそのように考えるようになるのですね。
それだけ過酷な世界なのでしょうね。
彼は食料が不足しやせ細っていく犬を見ながら、かわいそうという気持ちと同時に、自分の食べる肉が減っていくと考えるのです。

無事に旅を終え一緒に戻れることが何よりであり、心から希望しているのですが、食料がなくなり極限まで来たとき、この肉があると考えることが心の支えになったのです。
きれいごとではなく、生きていくために人という動物の本能なのでしょうか。

生死を見つめる本でした。

極夜行  角幡唯介著 No.1

一日中太陽が沈まないのは『白夜』
一日中太陽の出ないのが・・・『極夜』
知りませんでした。
ということで興味を持ち読みました。

北極は半年が白夜、半年が極夜。
角幡唯介さんが極夜を冒険するノンフィクション。
地理的な冒険ではなく、24時間闇の中での生活を冒険する話。
生死を掛けて-50度にも達する雪と光の世界を一人旅します。
彼にとっては人生を掛けた旅。
冒険家の多くはそうなのでしょうね。

人は他人に理解してもらえないことを、楽しみにしたり生きがいにしたりすることがあります。
私のランニングもただ辛いだけ、前に走るだけで何が楽しいの?と聞かれることがあります。
レベルは違いますが、冒険もそういうことなのかなあ・・・と読み進めながら考えました。

ブリザードの中、凍傷になりながらテントを張ったり思いそりを引っ張ったり。
辛い思いをした後に見る、普通では見られない世界に接したときの感動と達成感はたまらないものがあるのでしょう。

辛いランニングの後花を見たり、おいしいものを食べたり。
いえ、何もご褒美がなくても水を一杯飲んだ時の充実感にそれは似ているのかもしれません。

角幡さんの冒険は生死を掛けているので、やっぱり私のランニングとはあまりに違いすぎますね。

小さなご近所さん

数年前、若いお腹の大きなお嫁さんとその旦那様がお隣に引っ越してこられました。
女の子の赤ちゃんが生まれ、早いものでその子は小学校2年生。
その子のお母さんも私も仕事をしているので、そんなに出会うことはありません。
でも見かけると声を掛けます。
先日、その子の登校時、私はゴミ出しの帰り『おはよう』と声を掛けたらなんと、ハイタッチしてきたのです。
真顔でした。
でも笑顔の苦手な子が自分からハイタッチしてくれるなんて、なんだかとても嬉しくて。
元気をもらった朝でした、

お向さんの1年生の女の子。
引っ越してきて数か月。
やっぱり出会うと声を掛けます。
この子は笑顔の素敵な人懐っこい子。
お友達とおしゃべりをしていてもにっこりして手を振ってくれます。

ほんと、いい子たち。
これからいろんな時期を迎えて、時には挨拶をしなくなることもあるかもしれません。
でもこんないい子たちのこんなかわいい時期に出会えて、良かったなあと、出会うたび思います。

BORN TO RUN   クリストファー・マクドゥーガル著

『トレイルと喧嘩するんじゃない。トレイルが差し出すものを受け取るんだ。』

この本はトレイルランナー(山を走るランナー)のバイブルともいわれている本。
走るために生まれたといわれるメキシコの奥地に住む、タラウマラ族について書かれています。
彼らが履いて走る、草履のようなサンダルのようなゴム底に紐を通しただけのワラーチという履物があります。
それを手作りしたことで出会った本。

タラウマラ族は平和に暮らしていましたが、スペイン人の迫害を受け奥地に逃げるうち、山でひっそりと暮らすようになります。
必然的に山を駆け登ったり下りるようになり、山を走る民族となっていきました。
どの民族もそれぞれの歴史を持ち、生きるために強さを備えていくのですね。
人は弱くそして強い。

ワラーチをはくと開放感があり、足がどんどん前に進みます。
You Tubeで見た彼らの走りとはかけ離れていますが、彼らをイメージして富士山からも駆け下りました。
彼らは瞬時にどこに足を運ぶのが安全かを判断します。
そんな野性的な美しい走りを、心に留めてこれからも走っていきたいものです。

富士山

初めて富士山を見たのは20歳の時、飛行機からでした。
綺麗な形で感動しました。
それ以来新幹線から見る度、♪♪富士は日本一の山~♪♪と、心中で唄い、その美しい形に感動していました。

7年前に引っ越してから、通勤時に電車の窓からその姿を発見したときうれしくて
『あっ!富士山!』と声が漏れそうになったほどでした。
そしていつか登ってみたいと思いながら、昨年5合目から富士山に挑みました。
ランニングクラブの仲間と一緒で時間制限があり、8.5合目までしか登れませんでした。

遠くから見る山肌とは違い、ごつごつしていてよじ登らなければならないところもありましたが、木はなくどこまでも見渡せる景色に富士山を感じたものです。

そして今年、山開き前日再挑戦!
しかし、天候不順で中止。
やむなく0合目から5合目の登山に変更。
甘く見ていましたが、こちらもかなりの厳しい登山。
とはいっても木の茂る中を登るいわゆる登山。
5合目からのそれとは大違い。

みんなで、来年こそ登頂!と約束して今年の富士山挑戦は終わりました。