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聖地巡礼  内田樹×釈徹宗 

社員旅行で大浦天主堂に行くので、読んでみました。

豊臣秀吉の時代のキリスト教弾圧により、京都にいた26人のキリスト教徒が耳と鼻をそがれたまま長崎まで歩かされ処刑されました。
江戸時代の末期、開国され殉教した26聖人のために建てられたのが大浦天主堂です。

キリシタンにとって拷問の痛みは一時的なものであって、それに屈することこそ永遠の恥になると信じていたためどんな力にも負けることなく殉教していきました。
踏み絵でキリストの絵を踏むくらいなら、罰せられるほうがはるかに信教的に楽なのです。
この世にいない者を信じるほど、人は崇高になり信じる力が強くなるのだそうです。

宗教の力とは強力なもので、救われる人もいるし溺れる人もいるということでしょう。

聖書には隣人を愛することについては書かれていますが、自分を愛することについては書かれていないのだそうです。
自分を愛するのは当然の事ということでしょうか?
それてとも自分を愛さずとも周りの人への愛で自分が救われるということでしょうか?

大浦天主堂には多くのキリスト教徒の気持ちがこもっている事でしょう。
心に留めて見学をしてこようと思います。
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